日本の軍国主義  〔日本・政治・防衛〕

日本もプロイセンの軍制改革に倣い、1878年の参謀本部設置により統帥権独立制が導入された結果、政治権力による軍事権力の統制は困難となり、日清・日露戦争での勝利によって事実上の軍部が成立していく。

その過程で軍国主義思想が肯定感をもって国民に受容されていき、軍国主義国家としての体質を強めていくことになる。

さらに、第一次世界大戦では連合国側にたって勝利国となり、軍事権力の勢いはとどまるところを知らなかったが、大戦後の国際社会における反戦平和気運の高揚と国内における大正デモクラシー運動に支えられた政党政治の時代を迎えるや、国民の間には反軍国主義の意識が生み出されることになる。

こうした国内外の気運を一掃する目的で、軍部は1931年9月に満州事変を引き起こし、おりからの経済不況も手伝って国内は事変以後、ふたたび軍国主義気運が横溢し始める。

そうしたなか、32年5月には急進派青年将校たちにより首相犬養毅が暗殺され、政党政治に幕が下ろされた。

その後、36年2月には大規模な軍隊反乱が起こり、軍国主義への道が一気に加速され、その翌年には日中全面戦争が開始された。

以後日本は、準戦時体制から戦時体制へと移行する過程で軍国主義体制一色となっていった。

その場合、日本の軍国主義の展開は、ドイツやイタリアで具現されたように民衆の圧倒的な支持を背景として成立した、いうならば「下からの軍国主義」とは異なり、テロリズム、戦争、反乱など暴力によって民衆の不安をかき立てることで「上からの軍国主義」を強要する形をとった。

そのような方式は、今日における有事法制の問題にも連続している。

すなわち、中国脅威論からソ連脅威論、そして、昨今の北朝鮮脅威論と続く、恣意的な脅威の設定による国民の不安感を背景とした軍事法制定の動きのなかにも、新たな装いを凝らした軍国主義の思想が脈打っているようにも思われる。
update:2010年02月24日